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Posted by さがファンブログ事務局 at

有田地域活性化プランコンテスト! 映像

2月17,18,19日に行われました有田地域活性化プランコンテストのプラン発表の映像が出来上がりました。

佐賀インターネット放送局さんのご協力でこの映像は出来上がっています。

http://youtu.be/uZR72YV33cs


2時間と言う長丁場ですが、どうぞご覧ください!!!


実行委員の佐賀大学生さん達の頑張りも見て下さいね!!すごく堂々としていてかっこいいですよ。  


Posted by On y Va! at 16:47Comments(0)CSO

志賀克洋氏有田学講演会@小路庵

昨日、女性懇話会さんが主宰されたまちづくり勉強会の内容です。
くがフィルターがかかっているのであしからず・・・

有田学 志賀克洋先生 @小路庵 3月12日18:40~21:30

 地域づくりは自分たちが行うもの。日常の生活を行いつつ、行うことが地域づくりである。講師の話を聞いているだけでできるのであれば全国の地域は良くなっているはず。ではだれが悪いのか?それは地域の人。地域の人が実行しなければ解決しない。

 行政、大型企業が来たからと言って町が良くなるわけではない。内発型地域振興。そういったものを行っていく人が増えていく事で有田が変わっていく。今までの5回で出してきた企画書などを有田に落とし込み、有田で行うことで有田は変わっていくだろう。

 上杉鷹山の話。彼は250年前の米沢藩で地域づくりはほとんど行っている。ということは地域づくりについてほとんど成長していないということだ。農業の6次産業も彼が始めた(養蚕業→反物作り、ベニバナ→口紅、ゆでもち→峠で売るなど)藩校教育に力を入れた。

 有田学は有田ならではのものを作っていかなければならい。
地域に必要とされる企業、団体であれば地域も残る事ができる。地域がなければ団体も企業も残らない。

 旬の時期に旬のものをその場で売る。これが日本的。売ればもうかる、ではない。ネットで販売すれば簡単だが、そんなことをしても意味がない。その場に来てもらうことで商品以外のものを売る事ができる。それが地域の矜持である。

 日本は20年来成長していない。文化による町づくり→文化で飯は食えないと言われた。しかしこれからは文化でしか飯は食えない。福祉、文化、農業が大切。農業をないがしろにしている国は良い国ではない。農業が全てのキーを握っている。共に食べ、美味しいを共有していく事が地域を繋げていくこと。

 サッチャー、レーガン、小泉が始めたお金をもうけている人がもっと儲かる事で底辺が上がるという考え方だが、これは違う。お金を持っている人は選挙にも力を持っていく。選挙に関係のない力のない人のことを無視されるようになる。TPPの問題。これも農業だけの問題ではない。

 竹田は高齢者率日本一になった。高齢者の人は将来が不安でお金を使わない。高齢者という購買層が減ることはない。イオンの3本柱アジア、◎◎(聞きとれなかった)、シニア。デパート、スーパーでは業績を落としているが、小売業で業績が落ちていない業種はコンビニだけ。コンビニは社会にとって必要な社会資本と言う考え方をしている。商品を売るのではなくサービスを売っている。
 商店街が地域の中心であるべき。生活必需品を買うことができる、人が集まる。これを今コンビニが担っている。地域になって欠かせない店になっている。コンビニに頼っていてはいけない。商店街が担わなければならない。しかし、ここまで来るとコンビニと手を組むしかないようになってきているのではないか?

 2010年日蘭交流400年記念フォーラムで駐日オランダ大使が「伊万里」の話をされている。
 高齢者仕様のやきものが必要になるのではないか?ニーズがあるはず。値段の競争をしなければならないようなものは日本では無理ではないか?

「核家族から単家族へ」匠雅音著

竹田の岡城築城800年祭の事例
 天守閣を作る。20日間だけ作る許可が下りた。20日でさらに戻すという限定。分厚いゴムシートを張り、コンクリートを打って作った。瓦は発砲スチロールで作った。しかし、式典、神事を必ず行った。そのたびにテレビなどで取り上げてもらった。3000万以上かかったが、市役所は400万しか出せなかった。翌日が落成式の日に台風が来た。宮大工さんが神楽舞などを舞った。そのおかげか知らないが、台風の被害は瓦が一枚飛んだだけだった。足りないお金はグッズを売って作った。それで1000万円は稼いだ。しかし足りないものはいろんな機会でうった。

 キチンとした理想や理念がないと地域のためにならない。そういったものを理解できない首長がいないと難しい。ただし、若い人にそれが引きついでいく限りは失敗ではない。
 地場の素材を使って物を作ろうということがいい。まず、作らないといけない。そうしなければ先に進まない。地域の産物はどこかに持っていく、どこかに送ろうということの繰り返しで育っていく。みんなで育てていくしかない。
 
イベントをするだけでは意味がない。人口が増えていくようなことをしなければ地域は作れない。

 東日本大震災はもしかしたら戦後何十年間かで本来ならば作ってはいけないような潟、浜辺に住宅地や工場を作ったのではないか?潰れてしまったところは自然として残していく事の方が安心なのではないか?メモリアルパークなど。自然に対して謙虚な町づくり。利根川は河川工事をすればするほど災害被害額が大きくなっていく。経済成長の間違い。ナイル川の氾濫。加藤清正の灌漑。単に防波壁を作ればいいというものではない。
 
 周辺地域から暮らしやすい中心地に人が集まっていくということを考えなければいけない。商店街のコミュニティ共同体を形成するということも考えなければならない。周辺からの移動。どうしても不便なところに住みたいと言う人は仕方がないが、そうではない人に対しては流入してもらい、中心商店街のコミュニティを形成していく事も真剣に考えなければならない。これは行政も考えること。
 
 守らなければならいもの、信条を通さなければならないものには命をかけても行わなければならないのに、まちづくりにはそれができていない。だからまちづくりは甘い。簡単に諦めてはいけない。米の歴史には身代潰して水路を作ったり、木を植えたりしていた。木を植え、半世紀かけて水を呼んだ。そういった歴史に感謝しなければならない。簡単に諦めてはいけない。すぐには結果は出ない。

 ユートピア=no where w=私たち 私達が動くことで now here=今ここに
私達が動けば何もないところが、ユートピアになる。
地域鎖国。エネルギー、水、食料の調達←地元のものでまかなえるようにする。
 
 国に期待しても何もしてはくれない。末端市町村は国からも県からも言われて辛い。県は国から来た資料をそのままコピーして市町に持っていくだけ。(そうか??私が知っている佐賀県の職員さんのほとんどはすごくできる人が多いと思うけど・・・大分県は違うの??)
 知恵を出し合い、地域で自衛していかなければならない。そのために商店街で地元のものが買えるようにしなければならない。
戦略と戦術は違う。戦略はプラン、戦術はツール。そして必要なのは戦闘員が必要。軌道修正しながら行っていく事が地域活性化である。

原田議員より報告(松尾佳昭さんが調べたもの)
学校給食の去年の4月から1月までの野菜の地元産の割合
玉ねぎ町内産6割 葉物野菜は伊万里産まで加えるとほとんどがまかなっている。
米は作付は2割減り、収穫量は1割減っている。
2条大麦、米、玉ねぎ、高菜が主要産品

高くても地場のものを買うことが地域を育てることにつながる。  


Posted by On y Va! at 13:05Comments(0)CSO

あの日とあの人写真展@有田町役場

有田町役場に行ってきました。

町民ホールでは確定申告の手続きが行われています。
そして、NHKのドラマ「あの日とあの人」の写真展も行われていました。

町内でも賛否両論あるこのドラマ。
賛否両論あるから面白いのだと思います。
冒頭部分、女医さんに手を出すオヤジさん。
これを見てあるおじさんは
「有田のそのまんまだ!」とおっしゃられたし、
あるおばあさんは
「有田はセクハラを容認していると思われた困る!」
とも。

今、べんじゃら広場に来ていらっしゃるお爺さんはかなり憤慨されています。
有田のイメージダウンにつながると。
間違えてはいけないのはこのドラマは有田のイメージアップのためにつくられたドラマではなく、有田を舞台にした人間ドラマだったのではないでしょうか?
感情に任せて、ドラマの再放送は阻止しなければならないとかは行き過ぎていると思います。

前向きに、これからの有田をどうするか?何事もよかったよかったではないでしょうからね!
こうやって、有田のことを真剣に考えていく事がいいんだと思います。

価値観とか、世代とか、そういったものを越えてこれから有田を作っていかなければいけないんだと思います。

そして、奥の方では3.11の展示が行われていました。
これはNPO法人有田町第二のふるさと創成会さんの徳永理事長が中心となって行われていたものです。
忘れてはいけない震災。まだまだ終わってはいません。

有田小学校で野球の練習をしていた時にはなわさんが飛び入り参加されたそうです。子どもたち大喜び!!だったと監督さん。
子どもたちには良い思い出になったことでしょうね!
  


Posted by On y Va! at 15:25Comments(0)有田

海外研修に行ってきました

ずっとブログを更新していなくて申し訳ありません。
実は海外に行ってきました。

これはサポーター業務ではないのですが、有田町と佐賀県の事業で日本磁器発祥・有田焼創業400年事業アイデア探求事業 海外派遣視察団として参加してきました。

これは2016年に有田焼が創業400年を迎えるにあたって、どんなことを行うか、どんな400周年を迎えるか、そしてその後100年をどんなふうに迎えるかのアイデアを探してくる・・・という事業です。

私は2月20日~29日まで行ってきました。
初日は移動だけだったんですが、長ーい一日でした。朝5時に自宅を出て、高速バスで福岡空港まで。それから成田空港に向かい、ドイツミュンヘン空港、それからブダペスト空港。
ブダペスト空港からはタクシーでホテルまで向かいました。
これが1日・・・・。本当に長い一日でした・・・。

翌日はヘレンドに向かいます。(2月21日)
ヘレンドはヘレンド市にある磁器メーカーです。ここをメンバーの一人でもある源エ門窯の社長、金子昌司さんの紹介でヘレンドの日本代理店星商事の鈴木専務に通訳と案内をお願いできました。

ミニ・マヌファクトリーや美術館、そして本物の工場も見学させていただきました。社長や幹部の方々のお話しを直接聞くことができ、有田焼400周年への協力などをお願いしてきました。ヘレンドの展示室ではヘレンドの商品以外も展示できるとのこと。有田のやきものの展示も是非して下さいとおっしゃってくださいました。(販売はできませんが・・・)

ミニファクトリーでヘレンドアジア担当役員の方とセラミー。

翌日はブダペスト市内を観光しました。(2月22日)でも見つけちゃったんですよ、古伊万里。

ハンガリーにもあるんですね。驚きました。

ごごからはトランジットのためにプラハへ飛行機で移動。
世界遺産に登録されている町だけあって本当に美しかったです。

有名な仕掛け時計の前のセラミー。
翌日の午前中はプラハ市内を散策(2月23日)。私はプラハ城とミュシャ美術館のミュージアムショップへ。
ミュシャのミュージアムショップは日本人の女性でごった返していました。何と日本人女性の多いことか!

午後から電車でドレスデンとマイセンへ移動。

ドレスデンはやはりいいですね。知っている町だからでしょうか?
ツビンガー宮殿に行くと有田にあるツヴィンガー宮殿が素晴らしく思えます。本当にちゃんとしているって感じがわかります。


夜のうちにマイセンへ。
マイセンでは友好協会のみなさんからとの会食あり。美味しいお店に連れていっていただけました。
通訳は有田へ国際交流員として滞在していたロベルトさん。
翌日、朝からマイセン市役所、昼からはマイセン製陶所を訪問(2月24日)。
オルフ・ロシュケ市長との会談では有田焼400周年の計画をしている、いつでも計画を話して欲しいとおっしゃっていただきました。こんなことをおっしゃっていただける町が世界中のどこにあるんでしょうか!本当にありがたいですね。

マイセン製陶所では今回社長が社内を社長がずっと案内して下さいました。
また、マイセン製陶所では創立300年が3年前に行われたそうで、その時の教訓としてでしょうか?歴史を振り返ることの大切さを一番にお話しされました。

夜に夜行列車でベルリンに向かいました。
翌日の朝はベルリン市内を散策。(2月25日)
私は国会議事堂に行ってきました。時間の関係であのガラス張りの議事堂内に入ることはできなかったのですが、レンタサイクルの仕組みなどが分かって本当に良かったです。自転車のシェアって有田でもできないかな???

お昼の飛行機でパリへ。
なんとまぁ、日本人の多いこと!!恥ずかしいくらいに日本人だらけでした。
翌日、蚤の市に行きました。(2月26日)朝7時にホテルを出発してバンプと言われる蚤の市へ。ここでも日本人女性の多いこと。そして焼き物は少なかったです。この時の模様が西日本新聞に取り上げていただいています。

午後からはクリニアンクールというアンティーク街へ。
ここでも焼物はあまり売れないとか・・・アンティークだからだと思いたいですが、そうではないんでしょうね。

ここでついにセラミーとの別れが・・・・
クリニアンクールにセラミーを忘れてきたようです(涙)

夜、リモージュへ移動。
役場の方がリモージュ市と姉妹都市の瀬戸市からご紹介いただきました。
リモージュ駅はヨーロッパでも有名な駅だということでした。本当に美しい駅でした。
リモージュ市の職員さんが夜の10時だと言うのに駅までお迎えに来ていただいたり・・・本当に歓迎していただきました。

翌日の朝から(2月27日)リモージュ市内にある14窯元のうちの一つ、アビランド社を訪問しました。
私は見たこともないような近代化された工場でした。有田にもこんな近代化された工場はあるのでしょうか???びっくりしました。
そして美術館訪問し、有田が明治期に輸入した蒸気機関の楕円皿のろくろを探したり、午後からは市役所を訪問しました。

本当に興味深い研修だったともいます。
写真はfacebookのページをご覧ください。
http://www.facebook.com/arita400discovery  


Posted by On y Va! at 17:56Comments(8)有田